年末年始となぜかとても疲れていた。
何にかわからないし、いつからこんなに疲れていたのかわからないけどなにをしていてもなんだか居心地が悪かった。
いいことも悪いことも予想の範囲内にあるような感じで、落ち着いているというのとはまた違う、
自分の中のエネルギーの波がフラットになっているような感じだった。
スリランカに行くという漠然としたアイデアはあったものの、旅にでるモチベーションもいつもよりも低かった。
でもなにか行かなくてはいけない気がして、タイミングをのがして高くなった航空券をギリギリ抑えた。1週間前だったし、これ以上はチケットをとることで予定を決めないと予定の調整もしようがなくなる。時間は絶え間なく、止まろうとするものには水の流れのように圧をかけてくる。
形のない魂がなにかに衝動をもったときにそれは実体となりエネルギーをもつ
エネルギーは実体が衝動をもったときに生まれる
みたいなことがアーユルベーダについての本に書いてあったとかなかったとか。理解があいまい。
衝動
自分の心の声によく耳を傾けた時に湧き起こる
まだ少し遠く
でも確かに水面が振動しながら隆起し始める
わくわくするきもち
怖いとかネガティブな感情はたまにこれを押しつぶしてしまう
体の声に耳を傾ける時
どんなものを食べる
硬くなった筋肉や頭に気がついて
じぶんに優しくしてあげたい
今回アーユルベーダのリトリートを短期間だけど体験して
それは存在そのものの在り方だった
マッサージやトリートメントのフィジカルな面だけのことではなかった(気がついたらおかしくなってたおしりの形とかなんかいい感じになって歩きやすくなったりもしたけど。)
環境 食べもの 時間の使い方 コミュニケーション
あなたはあらかた健康とドクターから診断受けつつ
ポジティブな思考をもつこと
瞑想すること
お水をたくさんのむこと
フルーツをもっとたべること
とかアドバイスを受ける
見えない部分と見える部分どちらも同等に扱われる
ついついいつも見えない部分により意識が走りがちなじぶんに気づく。
そうね、どちらも同じなんだ。
帰り道でこれを書いている。
トランジットが長い。
チケットを取った時にはこの時間は長すぎると思っていたけれど、この時間すら必要で用意されていたような気さえする。
いま胸がギュッとなってすこしドキドキしているのはなんという感情なのかわからない。
そういえば春分の日に泊まっていたホテルに雷が落ちたけどその後遺症ではないはず。(最上階でガラス張りのわたしの部屋は青い稲妻に一瞬包まれて電気が止まった。)そういえばこの一瞬から流れがすこし変わったような気もするけれど。
いい旅だったんだと思う。また人生に恋をしているのかも。
まだまだこんなに予想不可能な冒険に溢れていつだって変わり続けるじぶんとの旅に。
行きのわたしと今のわたし
同じではないと感じる
今の自分の方が居心地がいい
アーユルベーダホテル滞在の前後はサーフポイントでもあるヒッカドゥワのビーチで永遠の初心者かと思われるサーフィンにまた挑戦しながら流体の作る形とかについての本を読んでいた。水の流れとそこにかかる地形やなんかによる摩擦の関係によって波が生まれていくとか。
流れる水はその時々の環境やいろんな条件で形をかえる
同じ場所でも時間ごとにも変わっていくし、毎日同じではない
永遠に同じとゆうことはきっとない。(わたしのサーフィンも)
風についても考える
風が吹きすぎると気が散るし
ドーシャのバランスも変えてしまう力があるそうな
風通しが悪いと空気が澱んでカビ臭くなる
波と風
水と空気
やっぱり興味はここなんだけど。
波は大きすぎると怖いけど、フラットではつまらない
風は吹きすぎると疲れるけれど、風通しはいい方がいい
やっぱりわたしには何がベストかなんてわからない
いつもいまこれ最高やんっておもうけど
それがずっと続いて欲しいとは思えない
どんどん変わっていく動き続けているという状態に感動する
その中で自分自身もこの体でもうしばらくバランスを取っていたいとおもう
それも永遠ではないから。
動かすこと、五感で感じること、食べること、出すこと、心で感じて
頭で考えることも含めて
変化と動きのなかに人それぞれ違うからじぶんの心地よいバランスをみつけていく。
よりよくなっていくとゆうことにモチベーションを感じる
(それはどの地点からでも!)
よい状態の理想を目指すというよりも、よくなっていくとゆうドライブがたのしい。
実は大きな波はやっぱり怖いけど
バランスをとり続けることもまだいつも簡単ではないけれど
続けていればちょっとずつうまくなっていくはず
そんな純粋な衝動とともに